Olá, Marcos Duarte!

<P class=MsoNormal><STRONG><SPAN lang=JA style="FONT-WEIGHT: normal; FONT-FAMILY: 'MS Mincho'; mso-ascii-font-family: Arial; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-family: Arial; mso-bidi-font-weight: bold">&#21360;&#21047;&#12377;&#12427;</SPAN></STRONG></P>

Data: 30/11/2006

20世紀の初め、ポルトアレグレ市に到着したばかりのサンパウロ出身の3人の若者はサッカーをプレーしたくて仕方がありませんでした。しかし、彼ら3人はポルトアレグレでは新参者だったので、町のどこのクラブチームにも入れてもらえませんでした。従って、彼らは自分たちで自前のクラブを創立することにしました。1909年4月4日月曜日の夜、ある家の地下室で、エンリケ、ジョゼ・ポッピ・レオン、ルイス・マデイラ・ポッピ兄弟3人に率いられた40人の若者達は、インターナショナルスポーツクラブ(通称インテル)を創立しまし た。創立時の議事録には、新しいクラブは人種、宗教、経済的差別を認めない旨が定められていました。こうしてリオグランデドスル州で最も人気のあるスポーツクラブが誕生したのです。

 

インターナショナルスポーツクラブのホームとなるベイラヒオ巨大スタジアムは、杮落としとして1969年4月6日の快晴の午後、ポルトガルのベンフィカと対戦し2対1で勝利しました。インテルのサポーター達は、セメントや釘入りの箱、鉄筋、煉瓦など建設資材を運ぶなどして、スタジアム建設に協力しました。人々の協力は壮大なるベイラヒオ巨大スタジアムの建設に大きく貢献しました。最初の頃はスタジアムの観客収容能力は9万人以上でしたが、FIFAの現行の規則に従えば、現在の正確な観客収容能力は約5万6千人です。

 

インテルは巨大スタジアムだけでなく、トレーニング用の補助グラウンド、ジガンチ-ニョ体育館、航海のトレーニング用総合施設も含めて、スポーツ総合施設を所有しています。また、各カテゴリーのすべてのチームが一緒になって練習するため、選手達は少年時代からスーパースターやアイドル達と深い関係を築けます。世界でもこのような素晴らしい特権を持ったクラブはまれです。

 

クラブハウスには、選手用宿泊施設、トレーニングルーム、理事会室、経営・マーケティングルーム、レストラン、ショップ、博物館、テレホンセンター、駐車場及び銀行が併設されています。また、2004年に新しく設置されたブラジルで最も美しいロッカールームは、世界で最も完璧かつ豪華なものの1つです。ジガンチーニョは国内のクラブチームが所有する最大の体育館で、1万8千人の観客の収容が可能で、コンサートや公務員試験など、ありとあらゆるイベントが開催できる安全で完璧な音響・照明設備を備えています。

 

1975年インターナショナルは、ミナスジェライス州のチームであるクルゼイロに1対0の歴史的勝利を収め、リオグランデドスル州のサッカーの枠を越えて、ブラジル全国選手権で優勝したリオグランデドスル州最初のチームとなりました。でも、一体どこで?もちろんベイラヒオの巨大スタジアムにおいてです。1976年にインテルがコリンチャンスと対戦して2対0のゴール差で勝って、2回目のブラジルチャンピオンになったのもベイラヒオのスタジアムでした。そして、インターナショナルは1979年、最終戦の対バスコダガマ戦に2対1で勝利し、ブラジル全国選手権で1度も負けずにチャンピオンになった最初で最後のチームとなりました。さらに、期待されていた通りに、1992年のブラジル杯対フルミネンセ戦で、1対0の最小スコア差でタイトルを勝ち取ったのも、またベイラヒオスタジアムでした。

 

2006年インテルはトヨタ南米リベルタドーレス杯の決勝でサンパウロを下して優勝しました。決勝の第1試合、インテルはアウェイで2対1のスコアでサンパウロに勝ちました。そして、ベイラヒオスタジアムでの第2試合に2対2で引き分け、優勝しました。インテルは南米チャンピオンになり、2006年日本で行われるFIFAクラブ選手権に駒を進めました。

 

スター選手の工場

 

インターナショナルスポーツクラブは、ブラジルサッカーのユース世代の育成のためのベストな組織の1つを持っています。7歳から20歳までのサッカー選手の育成のための完璧な下部組織を持っています。現在1120名の少年がサッカーの練習を行っており、そのうち320人は選手権に参加しており、その他の少年たちはさらに若いカテゴリーのチームで楽しみのためにプレーしています。クラブはこれらの少年たちに、コーチ、物理療法士、心理学者、ソーシャルワーカー、栄養士、医師、歯科医師も提供しています。

 

ユースチームに多く投資することにより、インテルはこの95年間のクラブの歴史において圧倒的な数のスター選手を輩出してきました。地球上の偉大なサッカー選手の何人かはインターナショナルスポーツクラブでプロとしてのサッカー人生をスタートさせています。1982年のワールドカップでスターとして輝いたパウロ・ロベルト・ファルカン、1994年のワールドカップの決勝で決定的な役割を果たしたゴールキーパーのタファレル、また、同ワールドカップでチャンピオントロフィーを手にしたブラジル代表チームの主将であったドゥンガといった選手たちなどがその代表的選手です。さらに、世界のサッカー界で大成功したその他の選手としては、2002年のワールドカップでワールドチャンピオンとなったセンターバックのルシオ、90年代にバルセロナとポルトで活躍したデフェンダーであるアロイジオ、1982年のワールドカップで活躍したミッドフィルダーのバティスタ、現在ミドルスブラでプレーしているセンターミッドフィルダーのファビオ・ロッケンバックなどが挙げられます。

 

 主なタイトル

 

    2006年度トヨタリベルタドーレス杯南米選手権優勝

    リオグランデドスル州選手権優勝37回(2002年から4年連続優勝)

    ブラジル全国選手権優勝3回(1975年、76年、79年)

    ブラジル杯優勝1回(1992年)

    15歳以下ナイキ杯選手権優勝(2000年)

    1956年のメキシコシティで行われたパンアメリカの試合で優勝した時のブラジルナショナルチームのベース

    1984年ロサンゼルスオリンピックで銀メダルをとった時のブラジルナショナルチームのベース

    サンパウロ杯でのブラジル20歳以下選手権優勝4回(1974年、78年、80年、98年)

    ブラジル20歳以下選手権優勝(2006年)

 

連絡先: 55(51)3230-4600

 

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